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覚悟とともに走りきった真のスーパーカー ~フェラーリテスタロッサ~

「ドアが上に開かないクルマは、スーパーカーとは呼べない。」

若かりし頃の私は、そう言い切っていた。スーパーカー=ランボルギーニのイメージが染み付いていたからだ。派手なスタイル、爆音、そしてなによりも、翼のように上方向に跳ね上がるドアこそが、非日常且つ憧れの象徴だった。

そんな私にとって、フェラーリはどこか上品すぎた。音は確かに綺麗で、まるで吹奏楽で奏でられる楽器のよう。でも、あの“普通の”ドアがどうしても許せなかった。人気があるのは分かる。でも、ドアが上に開かないのでは、スーパーカーじゃない。そう思っていた。

しかし、スーパーカー好きの仲間に聞くと「フェラーリの良さは乗ってみないと分からないよ」と背中を押されることが多かった。そう、どこで誰に聞いても、不思議とフェラーリの評価は驚くほど高かったのだ。それでもなぜだか、受け入れられない自分がいた。

ところがある日、「本当に知らずに否定していいのか?」という思いがふとよぎった。周囲の評判も後押しし、ついに私はフェラーリ・テスタロッサを購入する決断をした。どうせ乗るなら、とびきり派手で、まるでスターが乗るような仕様のものを。と、格別の一台を選んだ。

しかし、納車されたテスタロッサには、ノーマルのマフラーがついていた。いい音はする。でも物足りない。ちょうどその頃、“手曲げマフラー”というカスタムが流行し始めていた。一本一本職人の手で曲げられたマフラーは、楽器のように音質が異なるという。

私は迷わず、マフラー職人に依頼。結果、日本で初となる、テスタロッサ専用の手曲げマフラーが完成した。そのサウンドは、ただの「エンジン音」ではなく、まさに「音楽」だった。まるで金管楽器が路面を奏でるような、そんな透明感と迫力が共存していた。

だが、それだけでは終わらない。所詮はイタリア車。見た目や音は一流でも、ブレーキが効かない。クルマにとってブレーキが効かないのは致命傷なのは言うまでもない。命の危険を感じて、すぐにレース用の大型ブレーキに交換。すると今度はカーブを曲がれない。まっすぐは早いのに、曲がらない。笑ってはいけないが、本当に命がけだった。

それでも、ひとつひとつ直し、改良を重ね、ついに完成した“自分仕様”のテスタロッサ。その頃には、私はこの車に対する見方が180度変わっていた。

スーパーカーというのは、扱うのにそれなりの「覚悟」がいる。

テスタロッサは、確かにランボルギーニのような派手さはない。でも、繊細で、気難しくて、それでいて乗りこなした時にしか味わえない陶酔感がある。そして何よりも、乗る⼈を試す⾞だった。

あれほど「絶対に乗らない」と決めていたフェラーリに、まさか自分が惚れ込むとは思わなかった。手なずけるには、それなりの覚悟が必要だったが。